京都
祇園甲部
地名の由来
「祇園」という名称は、祇園社(現在の八坂神社)の門前町として栄えたことに由来します。八坂神社への参詣者を迎える茶屋町として、平安時代以来の信仰を背景に形づくられ、江戸時代に入ると花街としての性格を強めていきました。
「甲部」は、江戸時代に祇園が「甲部」と「乙部」に分かれた際の呼び名で、四条通の北側一帯を指します。明治14年(1881年)、乙部が正式に独立して現在の「祇園東」となり、これによって現在の祇園甲部の範囲が定まりました。
公式ホームページ
花街の特徴
祇園甲部は京都五花街の中で最大の規模を誇り、在籍する芸妓・舞妓の数も随一です。舞踊は「井上流」という祇園甲部独自の流派を伝承しており、抑制の効いた所作と静謐な美しさを特徴とする、他の花街には見られない格式高い舞が代々受け継がれています。歌舞練場の建物は国の登録有形文化財に指定されており、明治から続く近代京都の建築文化を今に伝える存在です。
舞妓と芸妓(げいこ)の違い
「舞妓」とは、芸妓になるための約5〜6年間の修業期間にある女性を指す呼び名です。舞妓になる前には「仕込みさん」として半年〜1年ほど、京言葉や礼儀作法、芸事の基礎を学びます。舞妓の衣裳は袖の長い振袖に、5メートル近くもある「だらりの帯」を垂らすのが特徴で、地毛を結い上げた日本髪を結います。
20歳前後になると「衿替え」という大きな節目を迎え、赤い衿から白い衿へと替えて一人前の芸妓(京都では「芸妓」、他地域では一般に「芸者」)となります。芸妓になると鬘を用い、帯も短いお太鼓結びに変わり、化粧や所作もより落ち着いたものになります。祇園甲部ではこの修業期間を通じて井上流の稽古を重ね、芸の格式が磨かれていきます。
お茶屋とお座敷について
祇園甲部の芸舞妓が実際に芸を披露するのは「お茶屋」という場です。お客はお茶屋を通じて座敷を手配してもらい、芸妓・舞妓による舞や三味線、会話を楽しみます。この仕組みは何百年もの信用関係の上に成り立っており、初めての客が直接お茶屋の暖簾をくぐって遊ぶことは通常できません(いわゆる「一見さんお断り」)。観光客が芸舞妓と間近で交流したい場合は、旅館や旅行会社が手配する正規のお座敷体験プランを利用するのが確実な方法です。都をどりや温習会のような公演であれば、チケットを購入するだけで誰でも鑑賞できます。
見学マナー
芸舞妓は観光アトラクションではなく、稽古やお座敷へ向かう仕事中の姿です。写真を撮る際は十分な距離を保ち、フラッシュ撮影や進路をふさぐ行為は控えてください。祇園南側の白川沿いなど一部の私道は住民の生活道路であり、通り抜けや無断撮影が条例で禁止され、違反すると過料(1万円)が科される区域もあります。「私道につき通り抜け禁止」の看板がある場所には立ち入らないようご注意ください。
アクセス
- 京阪電車「祇園四条」駅より徒歩5分
- 阪急電車「京都河原町」駅より徒歩8分
- 市バス「祇園」停留所より徒歩3分
主な催し物
- 都をどり(4月) — 明治5年(1872年)の第1回京都博覧会を機に始まった、140年を超える歴史を持つ春の舞踊公演。井上流による絢爛豪華な総踊りが披露され、祇園甲部にとって一年で最大の晴れ舞台です。
- 節分祭(2月) — 八坂神社の節分祭に芸舞妓が参加し、舞踊奉納と豆まきを行います。艶やかな姿を間近で見られる貴重な機会として、多くの参拝客で賑わいます。
- 鴨川をどり共演(6月) — 年によっては先斗町歌舞練場との共同公演が組まれることもあります。
- 温習会(11月) — 一年間の芸の稽古の成果を発表する会で、都をどりとはまた異なる、稽古の積み重ねを感じられる公演です。
- 事始め・顔見世総見(12月) — 一年の締めくくりとして、お茶屋への挨拶回りや南座顔見世の観劇が行われる、京都の年末の風物詩です。
祇園甲部のイベント
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