京都
先斗町
地名の由来
先斗町という名前の由来には諸説あります。ポルトガル語の「ponta(先)」「ponte(橋)」「ponto(点)」に由来するという説、東に鴨川、西に高瀬川という二つの川に挟まれた地形が鼓に例えられ、そのばちの音から「ぽん」と呼ばれるようになったという説、また当初は通りの東側にばかり家が建っていたことから「先斗(さきばか)り」と呼ばれた、という説もあります。
もともとこの一帯は鴨川の中州でしたが、江戸時代初期の寛文10年(1670年)に護岸工事によって埋め立てられ、「新河原町通」と呼ばれるようになりました。
公式ホームページ
花街の特徴
先斗町は、鴨川と木屋町通の間、三条通の一筋南から四条通まで続く、鴨川に沿った南北に細長い花街です。正徳2年(1712年)頃に水茶屋が設けられたのが始まりとされ、安政6年(1859年)に芸者稼業の公許が下りたことで、正式に花街として発展しました。紋章の「鴨川ちどり」は、明治5年(1872年)に鴨川をどりが初めて開催された際に創案されたものです。舞踊は明治以前の篠塚流、若柳流を経て、現在は歌舞伎の名跡に連なる尾上流を伝承しています。2021年には通りの無電柱化が完了し、約500メートルにわたる石畳の風情ある通りに生まれ変わりました。
舞妓と芸妓(げいこ)の違い
「舞妓」とは、芸妓になるまでの約5〜6年間の修業期間にある女性の呼び名です。中学卒業後に「仕込みさん」として半年〜1年ほど京言葉や礼儀作法、芸事の基礎を身につけたのち、正式に舞妓としてデビューします。振袖に5メートル近い「だらりの帯」を垂らし、地毛で結った日本髪を結うのが舞妓の装いの特徴です。
20歳前後になると「衿替え」という節目を迎え、赤い衿から白い衿へと替わって芸妓となります。芸妓になると鬘を用い、帯は短いお太鼓結びに変わり、化粧や所作もより洗練されたものになっていきます。先斗町では、この間に尾上流の稽古を重ね、鴨川をどりの舞台に立てるだけの芸を磨いていきます。
お茶屋とお座敷について
先斗町の芸舞妓が芸を披露するのも「お茶屋」でのお座敷です。お客はお茶屋を通じて座敷を手配してもらい、舞や三味線、会話を楽しみます。この仕組みは信用関係の上に成り立っており、初めての客が直接お茶屋を訪ねて遊ぶことは通常できません(いわゆる「一見さんお断り」)。飲食店の多いエリアだけに一般の店と混同されがちですが、お茶屋とお座敷はあくまで紹介制の世界です。観光客が芸舞妓と交流したい場合は、旅行会社が手配する正規のお座敷体験プランを利用するのが確実で、鴨川をどりのような公演であればチケット購入だけで誰でも鑑賞できます。
見学マナー
先斗町は石畳の細い通りに飲食店が軒を連ねる、観光客と地元客が入り混じるエリアです。芸舞妓とすれ違うことがあっても、稽古やお座敷へ向かう仕事中の姿であることを念頭に、写真撮影は距離を保ち、呼び止めたり進路を塞いだりしないようご配慮ください。通りは大変狭いため、大人数での立ち止まりや写真撮影は他の通行人や地元店舗の迷惑になります。
アクセス
- 京阪電車「三条」駅より徒歩5分
- 地下鉄東西線「京阪三条」駅6番出口より徒歩5分
- 阪急電車「河原町」駅1番出口より徒歩10分
主な催し物
- 鴨川をどり(5月1日〜24日) — 1927年に完成した先斗町歌舞練場で開催される、先斗町の芸舞妓による春の舞踊公演。前半は物語性のある演目、後半は純粋な舞踊で構成されるのが特徴で、その華やかさと様式美から京都の春を代表する公演のひとつとされています。
- 水明会(10月) — 秋に開催される、地唄や長唄など古典を中心とした演奏・舞踊の会です。
- 事始め(12月) — 一年の稽古の締めくくりとして、お世話になったお茶屋や師匠への挨拶回りが行われます。
先斗町のイベント
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